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2 0 0 7 年 3 月


平成19年3月31日(土)

<悲運の戦艦大和ーその5>

このミッドウェイ海戦を境に攻守逆転して米軍が次第に日本軍を攻め始めた。

先ず南方戦線から米国の攻撃が始まった。

日本軍の余りにも拡大過ぎた前線は、日本から運ばれてくるはずの
補給物資を載積した貨物船が米海軍の艦上爆撃機や潜水艦の
餌食となって撃沈された。

その為前線では満足な戦いをすることできず、
徐々に後退せざるを得なかった。

更に空の守りにも綻びが出始めた。

それまで
制空権は、当初高性能であった“ゼロ戦”が
米英の戦闘機を圧倒し確保していたが、両国がその工業力を
発揮して高性能の戦闘機を開発製造して、次第に“ゼロ戦”と対等の
性能あるいはそれ以上の性能をもつものも出現し、
その制空権を維持する事が困難な状況になり始めた。

そのような前線の状況下で山本五十六連合艦隊司令長官は、
そこで戦っている兵士達を激励する為に危険を侵して前線基地を訪問した。

そして危惧されたとおり、長官の搭乗している輸送機は米空軍戦闘機
P38ライトニングによって撃ち落され、長官は散った。

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平成19年3月30日(金)

<梅と桜>

四月も間近に迫り桜の季節が訪れた。

全国のあちらこちらで開花宣言が発表されている。

桜の名所では花見見物客が場所取りに奔走する事だろう。

艶やか桜花の下で桜に酔い酒に酔ったドンチャン酒盛りが始まる。

屋外で開放された気分もなかなか良いものである。

桜には人をそのような気分にさせる華やかさがある。

桜花爛漫とは言いえて妙である。

それに比べて梅は正反対。

寒の時期に遠慮勝ちに佇んでいるかのように可憐に咲く。

自己主張する事もなく、人の目を意識する事もなく前世からの定めを
忠実に守って咲いているような咲き方をする。

寒梅は敢えて風雪を侵して開く。

その梅の気概や良し。

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平成19年3月29日(木)

<ハナ肇とクレージーキャッツー植木等>

クレージーキャッツのメンバーであったコメデイアンの植木等さんが
一昨日亡くなった。

享年80歳。

リーダーであったハナ肇さんも既に鬼籍に入っている。

彼等は映画の「無責任」シリーズで一躍スターダムにのし上り、
その主役を演じた植木等さんは大スターへの道を進む事となった。

時代も漸く戦後復興の混乱から落ち着きを取り戻し、高度経済成長の始まる
一歩手前の頃から高度経済成長期の頃であった。


その中で企業を支えるサラリーマンの頑張りと悲哀を
描いた作品が「無責任」シリーズである。

それはサラリーマンの喜怒哀楽をコミカルにした映画だった。

植木等さんは映画以外でも歌の方で印象に残るヒット曲を多く出している。

「スーダラ節」、「ハイそれまでヨ!」等。

クレージーキャッツは映画と歌で大活躍をしていたがメンバーの
一人一人の楽器演奏技術は超一流との事である。

そんな実力があっての活躍だった。

植木等さん、楽しい映画と心に残る歌をありがとう!


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平成19年3月28日(水)

<牛丼の復活>


吉野家の牛丼が復活した。

米国産牛肉がBSE(牛海綿状脳症)により輸入禁止となった為、
吉野屋は牛丼の販売を全面停止した。

吉野屋の牛丼は米国産牛肉でないと吉野屋の味が出ないとの判断からだ。

自らの首を絞める潔い安部社長の決断だ。

牛丼の代わりに新商品の研究開発を行い、その中で豚丼が比較的好評を博し
吉野屋の屋台骨を支えた。

この牛丼のルーツは幕末まで溯る。

当時横浜が開港され、多くの外国人が横浜の居留地に住まう事になった。

そしてその外国人の多くは淡泊な日本料理が口に合わず牛肉を求めた。

それが日本人にも広がり四つ足を食してはならないという迷信も薄れ、
牛鍋屋というお店まで出現する事となった。

その牛鍋が全国的に広がり、関西では先に焼いた肉の上から割り下を張る
という形式のすき焼きが誕生した。

ごはんにマッチするすき焼きがごく自然に牛丼という形に発展した事は
容易に想像できる。

このような歴史的背景をもつ牛丼が再び復活した事は実に喜ばしい限りだ。

三月二十七日の新聞広告に出ていたが、吉野屋が初めて牛丼を
出したのは明治三十二年との事。

これだけ長い歴史のある牛丼屋さんとは知らなかった。

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平成19年3月27日(火)

<大相撲春場所ー豊真将と栃煌山>

大相撲春場所の15日間があっという間に終わった。

千秋楽の優勝決定戦で勝利したのは白鵬。

横綱を狙おうとする力士が横に変化してのはたき込みでは
いささか不満が残る相撲内容であった。

その直前の結びの一番で朝青龍が同じようにはたき込みであったので、
白鵬に負けた朝青龍も思わず苦笑いの態。

まさか自分の使った技で負けるとは頭にもなかっただろう。

今場所もベテラン勢の上位陣がい今一つピリッとしない場所であった。

その体たらくに対して若手の力士の活躍には目を見張るものがあった。

特に新入幕の栃煌山の頑張りが光った。

十一勝四敗で敢闘賞。

将来が楽しみな力士である。

それと同じく十一勝四敗で技能賞の豊真将。

この力士の活躍も光るものがあった。

大器の片鱗を覗かせた今場所であった。

派手なフォーマンスもなくどちらかと言うと地味な力士であるが、
その真面目で基本に忠実な相撲には好感がもてる。

春場所を盛り上げたこの若手二力士の来場所での活躍が楽しみだ。

天晴れ、豊真将・栃煌山!

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平成19年3月26日(月)

<宮崎神宮駅の取り壊し>

宮崎市北部の花ケ島にJRの宮崎神宮駅があった。

その駅は決して大きな駅舎ではなくこぢんまりとしたたたずまいをしていた。

この駅舎は宮崎神宮を模した木造建築であった為
他の駅舎に比べて際立った特徴を持っていた。

1913年(大正2年)に花ケ島駅として開設され、1925(大正14年)に
二代目駅舎が建築、1954年(昭和29年)に宮崎神宮駅に駅名変更された。

交通手段の限られていた時代にどれだけ多くの人々が
この宮崎神宮駅から乗り降りをしてきた事だろうか。

通勤するサラリーマン、通学生、行商のおばちゃん達等々。

真冬の寒い日にはこの駅舎内に設置されたダルマストーブを囲んで
暖をとることもあっただろう。

この駅を管理する為に駅長さん、助役さん、駅員さん達が忙しく
働いていたことだろう。

しかし何時頃か無人駅になり、管理する人もいなくなった。

そして今回、老朽化の為に取り壊し。

解体後は簡易な待合室と自転車置場だけとなるらしい。

この宮崎市北部の顔であった宮崎神宮駅。

取り壊さずに維持してほしかった。

寂しい思いで一杯だ。

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平成19年3月23日(金)

<悲運の戦艦大和ーその4>

何時の時代でも同じ誤ちを繰り返すのが世の常だがこの時代でも
同様の事が起こり大和型建造計画が変更されることはなかった。

日本海軍は日本海海戦において殆ど無傷の状態でロシア海軍に
大勝してしまい、その圧倒的勝利がその後不滅の信仰のようになり、
ますます大艦巨砲主義に固まってしまった。

その傾向は特に上層部の軍人に多く見受けられた。

唯一山本五十六だけが米国の国情を知悉していたので
航空機利用の重要性を理解していたと言われる。

早い時期から海軍航空隊の航空機と航空母艦の整備をするように
意見具申をしていた。

そして自ら海軍航空隊本部長となり航空機製造とパイロットの
養成指導を行った。

山本五十六は米国内の国情を詳細に調査していたので米国との戦争は
絶対に避けるべきという立場をとっていたが、止むを得ず
戦争ということになった場合には短期決戦で
望むしかないと考えていたようである。

しかしながら真珠湾奇襲攻撃も米海軍の航空母艦を取り逃がし
軍事施設の攻撃も中途半端なものに終わった。

更にミッドウェー海戦では司令官の優柔不断な命令により
米海軍2隻の航空母艦により日本海軍の虎の子航空母艦4隻を
撃沈されるという最悪の結果を招いてしまった。

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平成19年3月22日(木)


<「正しい日本食」?>

遂最近の新聞報道で海外の日本食レストランについて
認証制度を設けるという記事を読んだ。

最初のその記事を読んだ時・・・・・・・と言う感じがした。

日本食というものは文明の産物であって国が統一基準を制定して
規制するという対象とはなりにくいし又馴染まない代物である。

日本にしてもどれだけ海外からその国の代表的な料理を
取り入れてきた事だろうか。

その中にはオリジナル料理の姿が消えて日本風に
アレンジされてしまった料理もあるに違いない。

料理はその国に住む人々の舌に合わなければ誰もその料理を
食べようとはしないだろう。

日本には醤油、味噌という代表的調味料があり、
日本人の舌にはその味が深く刻み込まれている。

それだけに外国の料理も日本風にアレンジされる時には醤油、味噌が
隠し味として使用されている事もあるだろう。

この事は外国において日本料理を採り入れる場合も同様である。

お互い様である。

今回の「正しい日本食」を判断する統一基準を発表した農水省の考えは、
松岡利勝農相の発案との事だ。

この大臣の見識を疑いたくなる出来事である。

この人物は何をもって“正しい”という基準を持っているのだろうか。

海外視察で日本食レストランに行き、日本で何時も口にする
日本料理とは違う料理が出てきしまって、
自分でこれは“正しくない”と思ったのか。

そんな個人的な嗜好で勝手に基準を作ってもらいたくないものだ。

それとこの人物の傲慢さが助長した結果、このような見当違いの
発想につながった可能性もある。

そして国会の場では不明朗な光熱水費の架空計上を疑われながら、
その内訳の公表も拒否するという国会議員としての資質に
疑問を感じざるを得ないような態度を採ってくる。

このような国会議員が大臣席に座っているようでは
国内外の不信を買うようなものである。

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平成19年3月20日(火)

<ホリエモン有罪判決>

六本木ヒルズ族のシンボルであった堀江貴文被告ことホリエモンが三月十六日
東京地裁で懲役二年六ヶ月の実刑判決を受けた。

ライブドア事件での証券取引法違反罪である。

裁判長は「証券市場の公正性を害した極めて悪質な犯行」と言い渡した。

確かにホリエモンは一時期時代の寵児であった。

近鉄バッファローズ買収や衆議院選挙等でマスコミに取り上げられその顔は
全国区となり、若者にとって尊敬と憧れの対象となった。

若くして頂点を極めたホリエモンの絶調の時であった。

しかしその頃から記者会見や講演の席で言うべからざる発言を
するようになったのも事実である。

例えば「金を使えばどんな事も出来る」等。

予想外の成功とマスコミの持ち上げにより
自分自身を見失ってしまったとしか言いようがない精神状態だった。

その事業そのものの目的が全てという事だけならば
その事業そのものの存在価値も疑いたくなる程だ。

激しい受験戦争に打ち勝った秀才である事は確かであろうが、人間としての肝心要の
教養という面では果たしてどれだけのものを身につけてい.るのだろうか。

更に言えば人間としての資質はどうなんだろうか。

何か人間としての大事なものを忘れてしまったホリエモン。

しかしホリエモンはまだ若い。

これから幾らでも汚名挽回のチャンスはある。

その為には先ず人間の存在意義の原点を身に付けるべく禅寺でも訪ねて
厳しい精神修養をしてもらいたい。

そこで己の馬鹿さ加減を知ってほしい。

それからが真のスタートだ。

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平成19年3月19日(月)

<カレーライス>

カレーライスほど日本人に親しまれている料理はない。

カレーライスが嫌いという人はいないのではないか。

お年寄りから子供まで男女を問わず好まれている料理である。

カレーライスだけのメニューで全国チェーン展開しているお店がある程である。

勿論レトルトのカレーも数多く販売され多くの人が購入している。

各メーカーが競って新商品を販売している。

ルーも研究され、、その品質の良さには驚くばかりで場合によって
飲食店のカレーより優れているのではないかと思われる
レトルトカレーもある。

カレーライスは旧日本海軍が英国海軍で出されたカレーを見て
メニューに採り入れたらしい。

英国風のカレーを日本人の口に合うように調理したものであった。

海軍カレーが次第に民間に普及し国民食として定着したのだろう。

今のカレーはとろみがあって具とバランスよく調和しご飯と一緒に食べ易い。

現在のようなレトルト食品がない時代にはカレー粉を使って
各家庭でカレーを調理していた。

学校給食も同様で調理士さんが作っていた。

その出されたカレーは薄っぺらのバラ肉が少しとジャガイモ、玉ネギ、
ニンジンが具として使用され、ルーはとろみがなく
サラサラしていたように思う。。

今そんなカレーライスが無性に懐かしくもう一度食べてみたい気がする。

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平成19年3月17日(土)

<悲運の戦艦大和ーその3>

そもそも大和型の戦艦は、米国海軍の戦艦がパナマ運河を航行できる
最大船幅以上の巨大戦艦を建造する事により
戦艦で圧倒的な破壊力をもつて米国海軍の戦艦を撃沈するという
発想から計画されたものである。

計画段階では航空機は性能面では陸上施設を攻撃するのが精一杯で
とても戦艦を攻撃する能力は持っていなかった。

その為航空母艦からの艦上攻撃機で戦艦に立ち向かう事自体が
非常識の戦法であるとされていた。

そのような当時の状況から日本海軍が米国海軍の戦艦以上の巨大戦艦を
建造するという発想は常識的なものであった。

しかしながら大和型の戦艦は、当時どこの国にも存在しない
戦艦であったから、材質面、動力面、防御面そして戦艦の看板とも言うべき
巨大主砲など全てにおいて白紙からの開発であったので、
その開発建造に長期間(4年)を要してしまった。

その間に航空機の性能が急速に向上し、更に海上からでも
使用できるように航空母艦が開発建造された。

日本海軍が大和型戦艦を計画していた頃とは状況が一変してしまい、
本来なら早い時期に計画を中止し航空機と航空母艦の方に
目を向け力を注ぐべきであった。

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平成19年3月16日(金)

<県立総合博物館の今と昔>

現在、宮崎神宮境内の北側中央部に宮崎県立総合博物館がある。

宮崎の自然、文化、歴史に関する貴重な資料が展示され定期的に
特別な展示物やセミナー等が開催され多くの人達に利用されている。

今の建物は現代風の鉄筋コンクリート造りで立派なものである。

保管されている資料の状態を維持する為に
エアコンによる自動空調も行われている。

以前の県立総合博物館は今の場所ではなく境内の東側中央部に建っていた。

戦前(昭和10年代?)に建築された建物で宮崎神宮微古館(神宮の博物館)
として建てられたものらしい。

宮崎県が昭和26年に宮崎神宮より借用し県立博物館とした。

館内は特別展示室、弥生時代文化室、古墳時代文化室
そして奈良時代文化室と仕切られ資料が展示されていた。

その建物の外観は神話の里にふさわしい何か古墳時代を想像させる
荘厳な雰囲気を持っていた。

建築当初は保管陳列する資料が少なかった為、外観に比べて内部は
それ程広くは感じられなかった。

しかしその室内には歴史を感じさせる匂いがあった。

今の県立総合博物館が開館されてからは、利用目的のない建物となった。

廃館になった後は神武館という名称の剣道道場として利用された。

道場と言う事からすれば手狭ではあったが、小中学校の子供達にとっては
格好の道場となった。

道場の館長も熱心に指導に当たり、子供達も汗をかきながら
一生懸命に練習に励んだ。

この神武館から多くの豆剣士達を輩出し、その後も
剣道に関わる子供達が多くいた。

旧県立総合博物館も博物館の役割を終え、再び子供達の剣道道場として
利用された事に心から満足していたに違いない。

残念ながら昨年建物の老朽化の為に取り壊されてしまった。

願わくば取り壊しをする事なく改修工事をし、歴史的建造物として
残してほしかった。

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平成19年3月15 日(木)

<全日空機の胴体着陸>

一昨日の出来事である。

乗員、乗客を乗せた全日空機が高知空港に着陸しようとして、
着陸体勢に入ったが、前輪が出なくて着陸できなかった。

機長は何とか前輪を出そうと手動操作をしたりして努力をするのだが
肝心の前輪が出てこなかった。

止むを得ず燃料が空になるまで高知空港上空を飛行し空になった時点で
胴体着陸を試み、見事に成功させた。

この機長の沈着冷静な判断力と日頃の訓練の成せる技だ。

この全日空機はカナダ製のボンバルディアDHC8型という航空機だそうである。

ここ数年同型機でのトラブルが頻発していたとの事であるが、
そうなると今回の事故は起こるべくして起きたものと考えられる。

全日空の整備体制は無論の事、この機体の製造過程における
潜在的欠陥の追及をもすべきであろう。

今回は幸いにもすぐれた機長のお陰で大事故を免れたが今後の
事故防止の為にも再発防止体勢を整えるべきである。

それにしてもこの機長の操縦技術は大したものである。

航空機の操縦は離陸よりも着陸の方が技術的に難しいとされている。

ましてや胴体着陸の難しさはその比ではない。

過去着陸失敗で火災が発生し、多くの犠牲者を出している。

この機長はすぐれた操縦技術の持主であったのだろう。

まかり間違えば大事故になる可能性があったこの胴体着陸である。

機長の決断力、勇気そしてその神業的操縦技術に対して
大きな拍手を送りたい。

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平成19年3月14 日(水)

<大相撲春場所ー豊ノ島>


三月十一日(日)から大相撲の春場所が始まった。

遂この前初場所があったが、早くも春場所。

余りにも時間が早く経つように感じられて仕方がない。

世の中の動きが激しいので時間が経っているという意識が
低いのかも知れない。

それはともかく今場所は大荒れの場所となりそうな雰囲気である。

場所前にマスコミで八百長報道があった事により
世間の注目を浴びている今場所である。

力士達もその事を否応なく意識して相撲をとらなければないだろう。

意識過剰になって自分の相撲をとる事のできない力士も
出てくるかもしれない。

その通りの事態が起こった。

朝青龍である。

格下の負けるはずもない時天空相手にあわてた相撲を
とってしまい負けた。

朝青龍らしくない相撲であつた。

朝青龍も人の子であったと言う事か。

その持っている技、力が全く出せなかった相撲内容であった。

精神面に原因がある事は間違いない。

それに比べて豊ノ島の相撲は見事であった。

対戦相手は長身の琴欧州。

体格だけ見ると大人と子供と言っていい程だ。

相手十分のガフリ四つとなった体勢で一瞬の下手投げで
土俵に這わてしまった。

投げられた琴欧州は茫然自失の態であった。

それ程見事な下手投げであった。

豊ノ島は元々素質のある力士であるが、各界に入ってからはその出世が
遅い方で、同期の力士達が順調に出世していくのを
悔しい思いで地道に稽古に励んできた力士であるらしい。

そんな稽古の積み重ねの成果が先場所に芽を出し、
今場所花が咲いたような感じだ。

小兵力士が大兵力士を力ではなく切れ味のある技で倒すという
相撲の醍醐味を久しぶりに見させてもらった。

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平成19年3月13日(火)

<軽自動車ースズキ>

世界中で軽自動車と言われる車を作っているのは日本だけである。

自動車の生産王国である米国は勿論の事、自動車発祥の地である
欧州でも作られていない。

日本の車作りは、欧米の車を模倣することから始まっているが
基本原理は模倣であっても軽自動車という規格の車は
日本独自である。

戦前の乗用車は殆ど欧米からの輸入車であり、当然軽自動車も
存在しなかった。

軽自動車は戦後のある時期から360ccのエンジンという
規格で作られ始めた。

昭和30年代半ば以降からだと思うが、スズキ、マツダ、ダイハツ、
スバルと言ったメーカーが作った。

スズキはフロンテ、マツダはR360クーペ、ダイハツはキャロル、スバルは
あの有名なテントウ虫の愛称で知られているスバル360である。

当時軽自動車の販売対象は、小型乗用車や普通自動車に手か゛
届かない所得層であった。

馬力不足で車内も窮屈であったが価格も手頃であったから
急速にその販売台数を伸ばし、街中の至る所で
軽自動車を見ることとなった。

しかし軽自動車メーカー同士の競争が過激化し
だんだん手をかけすぎて高価額になってしまった。

そして大手自動車メーカーがいわゆる大衆乗用車と言われる
1000ccクラスの小型車を発売した為決定的ダメードを受け
販売減少という結果を招いてしまった。

その後スズキが軽自動車作りの原点に戻り、低価格と低燃費を実現した
軽自動車アルトを発売しそれが見事大ヒットとなり
多くの人達の生活の足となった。

今や軽自動車は低所得者向けという看板が外されてその市民権を得、
立派に軽自動車という独自のジャンルを作り上げた。

スズキは今軽自動車という土台の下に小型乗用車メーカーへと変身し、
世界中を相手とするメーカーに成長した。

ますますその存在感が高まるような気がするスズキである。

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平成19年3月12日(月)

<ラーメン>

今、ラーメンは日常食として人々に当り前の食品として食べらてれる。

うどん、そばと並ぶ代表的な麺食品である。

全国のラーメン屋さんを集めてそのうまさを競う大会もある程である。

とんこつ風味、しょうゆ風味、みそ風味、塩風味と種々のラーメンがある。

そして札幌ラーメン、喜多方ラーメン(福島県)、長浜ラーメン(福岡県)等々
ブランドのついたラーメンも数多くある。

宮崎ラーメンはとんこつ風味である。

宮崎市内には、地元のラーメン屋さん、チェーン店等が
数多くお店を出しているが、個人的には古くからお店を出している
ラーメン屋さんに行く事が多い。

時間をかけて煮込んだとんこつスープともやしの香りが食欲をそそる。

そのラーメン屋さんが苦労を重ねて作ったそのお店でしか出せない
スープの味である。

今ラーメンと言っているが古くは支那そばと言っていたらしい。

中国から渡って来たから支那そばと言ったのだろう。

この支那そばが中国から日本に入ってきたのは
明治時代になってからのことだそうだ。

更にそのルーツを辿ると中国の中央部にある蘭州という所で
始めて作られたらしい。

今から2000年前位にシルクロードの通過点であった蘭州に
西域から小麦粉が伝わり、
それを原料にしてラーメンを作ったとの事である。

そしてそれが次第に中国全土に広がり、各地で手を加えられて
種々のラーメン(中国では拉面というらしい)が作られた。

そのラーメンが開国間もない明治時代の日本に伝えられたとの事である。

日本は中国大陸から色々な事を学んでいるが、食文化についても
古い時代から多くの事を学んできたに違いない。

そんな事を考えながらラーメンを食べると、
高がラーメンとは言えないような気がしてきた。

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平成19年3月9日(金)

<悲運の戦艦大和ーその2>

空からの攻撃で軍艦を撃沈するという方法を編み出しそれを見事に
成功させたのは、他ならぬ日本海軍だった。

当時の連合艦隊司令長官山本五十六の発案である。

開戦間もない1941年12月マレー沖開戦で
英国海軍自慢の戦艦“プリンスオブウェールズ”と
重巡洋艦“レパルス”を日本海軍航空部隊の一式
陸上攻撃機と九六式陸上攻撃機が撃沈してしまった。

この戦いによって海上での戦い方がそれまでの常識を覆し一変した。

これからの海上戦争での主役は戦艦ではなく航空機だということを
世界中に思い知らしめた。

その兆候は航空機性能の目覚しい進歩により予測できたはずである。

戦艦“大和”は性能が飛躍的に向上した航空機の登場により
無用の長物と化した。

皮肉な事にその事を日本海軍自らが示したのである。

そんな事から“大和”は戦場での活躍の場は殆どなく
軍港に係留されている事が多く、海軍の軍人の間では
自嘲気味に“大和ホテル”と言われていた。

その誕生した時期が余りにも遅すぎた悲運な“大和”であった。

沖縄方面への出発は片道分の燃料しか搭載しないという
自らの存在を消滅させる為の旅立ちだった。

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平成19年3月8日(木)

<交通事故>

TVニュース番組でよく報道されるニュースが交通事故である。

大破した車の悲惨な姿が映し出されると改めて、交通事故の怖さを
認識させられる。

誰だって交通事故を起こしたくて起こしいるのではない。

その瞬間の道路状況、運転状態、そして咄嗟の判断力等々、種々の条件と
タイミングがミスマッチした時に、事故が起きているのだろう。

確かに言える事は、日常的運転が関係していると言うことである。

日常で無意識に運転している、その時の基本的マナーそして運転方法である。

交通ルールを忠実に守っているかどうかである。

信号に従って運転しているか。(信号無視が結構目立つ。)

右折、左折する時、前もってウインカーを出しているか。
(曲がりながらウインカーを出している。)

一時停止の箇所を真面目に停止しているか。
(気が付かないのか停止していないことが多い。)

今年卒業を迎える高校生が、今運転練習に励んでいるのを見かける。

今は、教習所の教官の言う通りに運転しているに違いない。

自分の車で運転することになった時も教官から教わった事を忠実に
守って運転してほしいものである。

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平成19年3月7日(水)

<フランスパンとコッペパン>

最近はあちらこちらで手造りパン屋を見かける。

大手パンメーカーが競って高品質のパンを造り凝ったネーミングを出して
消費者の目を引こうとしている。

ショッピングセンターには数多くの種類のパンが陳列してあり
選ぶのに苦労するくらいである。

そういう競争の激しいパン業界に手造りのパンのお店が
出店される背景には、多くのパンメーカーのパンに満足できない
多くの消費者が存在するということだろう。

或いは最近のグルメ志向の流れで、ありふれたパンではなく
多少割高な価格でも少量ずつ手間をかけて造ったパンの方を
求める傾向があるのだろうか。

以前は家庭の食卓上のパンと言えば食パンであった。

それをトースターで焼きマーガリンをつけて食べるのが一般的であった。

更に時代を遡るとコッペパンという名のパンがあった。

楕円形状で表面と片面は多少固く裏側は柔らかめのパンであった。

素朴な味であったが、物のない時代には十分すぎる程
おいしいパンであった。

学校給食で出されたパンとは比べようのないくらい美味であった。

確かに現在お店に並んでいる手造りと称されるフランスパンは、
原材となる小麦も厳選されたものて゛あり、手間をかけて正確に
設定された時間で焼き上げているので文句のつけようない味である。

それでもコッペパンが懐かしく想い出されるのは何故だろう。

その時代の小麦が現在のものと違っていたのだろうか。

それとも子供の新鮮の舌がその時の味をクリアーすることなく
印象深く刻みつけているのだろうか。

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平成19年3月6日(火)

<八甲田山での遭難事故>

つい最近青森県にある八甲田山で登山客が雪崩に巻き込まれるという
遭難事故が発生した。

登山ガイドは付いていたのであるが、ベテラン登山客か゛
ガイドの指示に従わなかった事が原因との事。

今回の雪崩は表層雪崩というそうで、前日までの積雪の上に
新しい積雪があった時必ずと言って言い程発生するものらしい。

冬山登山の常識との事である。

そうであればこのガイドにしてもベテラン登山客にしても
冬山を嘗めていたとか思いようがない。

思い上がりからの判断から必然的に発生した人災そのものである。

八甲田山での遭難は、明治時代に日本陸軍が極寒の大陸での戦争を
想定して、冬季での八甲田山踏破訓練を実施した結果、
大事故が発生した事で有名である。

二組の隊を反対側の場所から同時に歩き始めて競争させるという
軍隊らしい方法で行った。

一組の隊は、見事に一人の落伍者もなく完璧に踏破した。

もう一組の隊は僅か数人が生存し、その殆どの軍人が犠牲となった。

二組の隊の結果は全く反対となった。

その原因は明確である。

軍隊で最も重要な統率権が規律通りに実行されたかどうかである。

成功した隊は、統制のとれた少人数で編成され隊長が綿密な準備をし、
しかも八甲田山の事に詳しい部落の人に案内を依頼した為
安全に走破できた。

一方失敗した隊は全くその逆の事をしてしまった。

大人数で編成され事前準備も中途半端で案内人もご丁寧にも断るという
傲慢振りを発揮している。

しかも隊長より位の高い軍人が割り込んで参加した為困難な状況に
陥った時の決断をその軍人がする事になり、より混乱を招く事となった。

これも天災ではなく人災である。

この八甲田山の遭難事故は小説家新田次郎氏の
「八甲田山死の彷徨」の作品で生々しく表現され、
後に東映で映画化された。

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平成19年3月5日(月)

<悲運の戦艦大和ーその1>

以前“おれたちの大和”という映画が公開された。

その映画のDVDを借りてきて観賞した。

一部実物大のセットを作って撮影したためリアリティに富んだ
“大和”となり迫力満点の映画となった。

現在においても60年以上前に沈んだ船を映画化すると言う事は、
それだけ“大和”という戦艦が多くの人たちの脳裏に
刻み込まれているのだう。

当時“大和”は戦艦として世界最大にして最強と言われた。

排水量69,000t、主砲の口径46cmその射程距離42km。

戦艦同士の戦いでは先ず負けることない戦艦と言われた。

その“大和”が終戦直前(昭和20年4月)に沖縄に向かう途中で
米軍の艦上爆撃機による砲弾と艦上攻撃機による魚雷によって
アッけなく沈められてしまった。

“大和”は何度も改修工事を受け 、艦上にはハリネズミのように大小口径の
機関砲を備えていたが、空からの攻撃には成す術もなく撃沈された。

しかしこのような結末になる事は、日本海軍がどこの誰よりも
認識していたはずである。

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平成19年3月3日(土)

<船塚桜通りの花壇ーひなげし>

宮崎県立総合文化公園の南駐車場の出入口から南に向かって
一直線に伸びている船塚桜通りという通りがある。

その突き当たりに宮崎公立大学がある。

この通りには広い舗道もあり、その舗道には一定間隔で
花壇が設置されている。

そしてその花壇と花壇の間には桜が植えられ桜並木道となっている。

その花壇には色々な種類の花が植えられ、ここを通る人たちの
目を楽しませてくれている。

その一つの花壇に可憐な花を見つけた。

ひなげしの花である。(ポピーとも言うらしい。)

以前アグネス・チャンが“ひなげしの花”という歌を
歌っているのを想い出した。

あの頃の可愛いアグネスにピッタリの歌であった。

それにしても宮崎市内には花屋さんが数多く店を出している。

宮崎市に住む人たちは、特に花好きの人が多いのだろうか。

あるいは宮崎の温暖な気候が花を育てるのに適しているからか。

宮崎交通の創業者であった岩切章太郎氏の偉業が
広く県民にまで影響しててるのか。

岩切章太郎氏は、宮崎の自然に着目して観光事業を起こし発展させた
宮崎観光の父とも言うべき人であった。

岩切氏は色々な観光施設を作っているが当時全国のどこでも
実行していなかった事を実行している。

それは主要幹線道路の両側に花を植えて、道行く人々の
眼を楽しませようという構想を実行したことである。

宮崎に観光に来た人たちは、沿道の花々で宮崎という地を
強く印象づけられたに違いない。

今宮崎で暮らしている人たちも、その時の印象が強く焼きつけられ、
花を愛するようになったのかも知れない。

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平成19年3月2日(金)

<牡蠣フライ>
   か き
牡蠣の産地としては広島が全国的に有名である。

大規模な牡蠣の養殖場があり、全国に向けて出荷している。

養殖技術を研究しているせいか、ここの牡蠣は評判通り確かにうまい。

広島に比べて全国的には有名でないが宮崎にも牡蠣を
採取している所がある。

高鍋町である。

広島のものに比べると小ぶりであるが身が引き締まっていてうまい。

牡蠣の食べ方は色々あると思うが、
個人的にはフライにして食べるのが好きだ。

幼少時には食べた事がなく県外に出て生活するようになり、
その街の定食屋さんで食べたのが最初であった。

一緒にいた友人が牡蠣フライ定食を注文するのを真似して
注文したような気がする。

友人がソースをかけたのでそれも真似してソースをかけて食べた。

そして思った。

これはうまいと。

年齢的にも牡蠣の味が分かるようになっていた年頃であったのも
幸いしたのかも知れない。

それから牡蠣フライは大好物の一つになった。

そして今も牡蠣フライにはソースをかけて食べている。

一度覚えた食べ方を変えようとはしないし、他の食べ方に
挑戦する気もない。

馬鹿なのか物ぐさなのか良く分からない。

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平成19年3月1日(木)

<日本映画が洋画を上廻る>

今年度の日本での映画興業収入で日本映画が21年ぶりに
洋画を上廻ったとの事である。

日本映画の全盛時代には、各地に映画館が林立していて、
当時の人たちにとって映画を鑑賞することが最大の娯楽であった。

各映画制作会社が競って映画作りをしていた。

公開された映画には、傑作もあれば駄作もあり玉石混交の時代であった。

勿論今でも世界中で賞賛される溝口監督や黒沢明監督の
傑作映画も作られていた。

それがTVの登場と共に少しずつ日本映画離れが始まった。

今日本映画が観賞されるようになった理由は、色々と考えられるが
一番大きなものは作品の品質向上であろう。

さらに郊外型ショッピングセンターに併設されたシネマコンプレックスの
存在もあるだろう

品質面の向上は日本映画が米国映画でリメイクされるということにも
現れている。

例えば“shall we dance”のように。

過去には黒沢明監督の“用心棒”がマカロニウェスタンで
リメイクされる事があった。

最近公開された日米映画“硫黄島からの手紙”では渡辺謙が
出演し高い評価を得ている。

更に今年度のアカデミー賞にノミネイトされた“Babell”
菊池凛子も残念ながら受賞は逃がしたが、世界中の注目を集めた事は
間違いない。

今や映画は世界中で上映され、その国の国民性や実情を
最も雄弁に表現してくれ、日本という国を理解してもらえる
最高の外交手段となっている。

これからも世界中の人に観賞される良い作品を作ってもらいたいものである。

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